こいつもまたずいぶんご無沙汰でしたが、まあ武術談義5回目ということで。
前回は武器術と徒手空拳について触れましたが、今回はそれに関連して。さらに、深く考察したいと思います。
武器と徒手空拳の関係、よく「武器は手の延長」といわれますが伝統的な武術は武器ありき、または武器と素手は渾然一体となったものであると言いました。この武器と徒手の関係、近代になるほど希薄になっていったようです。
たとえば、近代格闘技であるキックボクシングなんかは武器術はありません。これは、立ち技最強と呼ばれるムエタイに対抗するため、日本で生まれた格闘技ですが完全にリングの上で戦うためにつくられた格闘技です。リング上では武器は使わないのが当たり前、よって武器術はなし。しかし、キックの原型となったムエタイにも武器術が存在したそうです。正確には、クラビー・クラボーンという、刀や棒、盾といった武器全般を扱う武術。クラビー・クラボーンでは刀で攻撃しつつ、蹴り技で翻弄するという形で、古式ムエタイに通じるものがあったとか。その素手の技術が近代ムエタイに変わって行きました。
現代の戦闘は剣から銃に変わり、また格闘技も素手のみとするルールが普通となりました。このご時勢、武器術を学ぶ意味はないように思われます。前回触れた柔道部の奴も、そういう意味で「剣道は実戦的じゃない」と言ったのでしょう。スポーツ化された柔道、空手、ボクシングをやっていれば人は最強になれるのか。多分、違うと思います。武器術と徒手は、たとえ徒手をメインにするとしてもやはり切っても切り離せないと考えます。
では、武器と素手を併習することで何が得られるか。一つは、「武器に対する技術を養える」ということでしょう。たとえばストリートで、暴漢に襲われたときなど。一対一の喧嘩では武器を使わない、なんて暗黙のルールがありそうですがことストリートでは相手は武器を使ってきてもおかしくないでしょう。ナイフを持っていたらどうするか。柔道は組み合った状態から(実際はそれだけじゃないけど)スタートすることを想定しています。相手が刃物を持っているのに、いきなり組めるわけありません。しかし、合気道などでは相手の刃物を取る「短刀取り」という技術があります。私が合気道を習っていた道場では、素手対素手よりも武器対素手、もしくは武器対武器に重きを置いていました。短刀、剣、杖などを持ち出されたらどう対処するか。ブルース・リーが創始したジークンドーには武器術はありませんが、やはり「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というスタンスの元で稽古を行っているようで、フィリピンのカリ(半棒術みたいなもの)やナイフ術を併習しているようです。いざとなれば、自分が武器を取ればいい。そこらに落ちている棒でも雑誌を丸めた奴でも、手提げをつかってでも何でも武器になりますし。護身、という点で言えば武器術を学ぶ意味もあるでしょう。
二つ目は、「武器によって体をつくる」ということです。もちろん、体をつくるなら筋トレをガンガンすればいいのですが東洋の武術は少し違います。筋トレをすると、確かに腕は太くなるでしょうがそれが実際に戦える体になるとは限りません。発達しすぎた筋肉は、時に動きを遅くしてしまいます。必要なときに必要な筋肉を使う、これが武術家の体でしょう。現に、昔の武術家は筋トレをしなかったそうです。その代わり、型を一日何千回と繰り返し、必要な体をつくりさらに同じ動作を体にしみこませました。
八極拳の始祖、李書文は六合大槍という重たい槍を使って稽古に励んでいたそうです。中国拳法のうち、八極拳、太極拳、心意六合拳は槍との関係が深いそうです。形意拳の“崩拳”という技は、槍をつきこむ動作をそのまま素手に置き換えた技だったりします。
武器を使うことで、素手の技術にどう生かされるか。どのように体がつくられるか。長い六合大槍などを扱うと、普通ならば重い槍に体がついてかず、槍に体が振られる形になるでしょう。重いハンマーやつるはしなどを素人が振ると、体がよろけてしまうように。それを、体の各筋肉を協調させて重心を調節することで体と武器とのバランスをとる。そうすることで、自分の体が重くする。重心が安定する。これを、武術研究家の山田英司氏は『ボディコア』と名づけています。東洋武術では、臍下丹田と説明されることが多いのですが、ともかく重い武器を自分の体と一体化させることで、体を充実させることになるわけです。
西洋医学では、体は部品、パーツとして扱います。腕を強くしたいなら腕の筋肉を鍛え、背中を強くするなら背筋を鍛える、というように。しかし東洋医学では、体を全体として捉えます。中国拳法では腕だけ、足だけではなく体全部を協調させる。長く重い槍を突きこむ動作を繰り返すことで、全身の力を槍の一点に集約させる運動。これが、全身の力を協調して打ち出す発勁(はっけい)につながるわけです。
ちなみに発勁というと、日本では「なんかすごい技」みたいに捉えられいるみたいですが(昔読んだ漫画に、触れただけで人体を破壊する、みたいな描写がありました)、発勁というのは力の打ち出し方をつたえる技術であって別に特別なことではありません。神秘的な力で人が吹っ飛んだり内臓を破壊したり、ドラゴンボール的なもんじゃあないです。しかし、全身を協調して勁(打撃)を打ち出すとものすごい力がつたわるのは確かです。
かつて合気道の始祖、植芝盛平も生涯剣の修行を欠かさなかったといいます。合気道では、力をいかにして相手に伝え、崩すかが鍵となります。ただ剣を振るうのではなく、剣術は剣先に力を伝えなければいけない。それが出来て初めて、合気道の崩しも体現できるのだとか。「それが分かってないんだよな、いまの合気道界は」と、我が師は嘆いていましたっけ(笑)
次回も武器術と素手、間合いの関係について考察します。なお、今回のこの記事は流星社から出ている『武術の構造』という本を参考にさせていただきました。興味のある方は是非、ご一読ください。
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高校のときだったかな、柔道部のやつに「剣道なんて、棒がなけりゃ戦えないじゃねえか」とか言われたことがあります。つまり、街で喧嘩吹っかけられたらまず武器を探さなければならない。実用的じゃない、といわれたわけです。剣道を喧嘩で使う、というのはもちろん不謹慎で武の心からは遠ざかった行為なのですが、当時の私は反論も出来ず非常に悔しい思いをしたものでした(笑)
格闘技や武道には、武器を使うものと使わないものがあります。前者を「武器術」後者を「徒手空拳」とわけたりしますね。大抵、漫画だと武器を使うほうが悪者で使わないほうが主人公側だったりします(笑) そうでなくても、やはり武器と素手はまったく別の武術として扱われます。しかし、古代においては武器と徒手は渾然一体となったものでした。というよりも、むしろ武術は「武器ありき」で、武器術が主、徒手空拳は武器術のおまけ程度の存在だったのです。
当たり前ですが、素手の殴りあいで戦争するバカはいないわけです。近代ならば弾道弾ミサイル、有史以前なら棍棒ででも戦争したでしょう。鋭い牙や爪を持たない人類にとって、戦いの歴史は武器の発達とともにありました。これは無視出来ないことでしょう。つまり、戦場で武勲を立てるものは武器の扱いに長けるものだったのです。したがって、武術もまた武器術を研鑽するためのものでした。
たとえば、徒手空拳のイメージの強い唐手ですが、古式の唐手には多くの武器術が存在します。棒、トンファー、ヌンチャク、サイなどがポピュラーですが、唐手の型の多くはこれらの武器の型から来ています。腰を落として突くスタイルは、棒を突く動作から来ています。また、突きを撃つにはまずサイを扱う技術から学ぶ必要があったそうで。トンファーで敵の攻撃を受ける動作が、そのまま上段揚受けになります。中国からの拳法が伝来し、唐手が出来たといわれますがその中国拳法とて武器術が主でした。八極拳の始祖、李書文は槍の名手としても知られています。形意拳のひとつに、「崩拳」という技があります。これはいわゆる突きなんですが、これは「六合大槍」というひじょーに重たい槍を突き出す動作から来ているのだとか。
また、レスリングにはフリースタイルの他にグレコローマンというスタイルがあることをご存知でしょうか。このグレコローマンは下半身のタックルを禁じていますが、これはローマ時代の剣闘士たちの戦いに由来するといわれています。いまのスポーツとは違い、当時は命がかかっていますからね。相手が剣をもっているのに、いきなり下半身にタックルきめる奴はいないわけです。そんなことしたら上から刺されて串焼きバーベキューにされるのがオチ。まず剣同士で戦い、隙を見て剣を封じ込めて胴体にタックル。相手の剣を奪って止め、というのが主流だったそうです。ドイツ剣術の型なんかでも、そんな戦法がとられています。
さて、冒頭の「喧嘩で使えない」発言を繰り出した彼。奴がやっている柔道ですが、古来日本には「柔術」という武術がありました。これは、相手を投げ飛ばしたり関節を極めたりという組討技術なのですが、柔道はその柔術が元になっています。加納治五郎が柔術から柔道を創始したわけですが……この柔術、じつは剣術から派生したものです。
戦場で矢が尽き槍が折れ、刀が曲がった――そんな窮地に陥ったときの対刀用に伝えられた技法。それが柔術です。相手が刀で切りつけてきたとき、体捌きで懐に入って刀を奪い、敵を組み伏せる。その技術が、後に「柔術」として独立した体系を持つようになります。しかし、元が対刀の武術なので各柔術流派はまず、入門者には剣術を教えていたそうです。柔道よりも柔術体系を色濃く引き継いだ合気道では、やはり剣術を教えています。私が習っていた合気道の師は剣道の心得もあったようで、いろいろ教えていただきました。古来より、剣と体術は表裏一体。格闘技でははじめに武器ありきです。この辺、理解していると小説の戦闘シーンなんかがリアルに……いやまあ、それはわかりませんけどね。
『監獄街』で真田省吾が遣う「一心無涯流柔拳法」は、武器と体術の体系が折り混ぜられた武術です。読んでご確認いただければ(強制終了
失礼しました。
次回から、もうちょい具体的に見てきましょう。第五回は「武器術で得られる体術の効果」などなど。いつやるかは未定っす。
前回の武術談義で、きよこさんが「日本刀はもろいんですね」とおっしゃっていました。まあ、確かにあのような書き方だと日本刀はもろいと思われるかもしれません。ちょっと今日は、第二回の補足説明をさせていただきます。
巷ではよく、「日本刀は2,3人切ったらだめになる」といわれますが、本当にそんな脆かったらまず武器として失格なのです。日本刀は、硬さから来る脆さをいくつもの手法でカバーしています。
切れ味のよい刃はこぼれやすいという側面を持ってますが、日本刀という刀は軟鉄を芯に、いくつもの鉄を重ねて延ばし、作られています。柔らかい鉄を鋼で包むことで、強靭さを増しているわけです。
それと、日本刀独特の反り。馬から下りて歩兵主体になった江戸期以降も、なぜ日本刀から反りがなくならなかったかと言うと、刀が受けた衝撃をあの峰の部分で殺していたわけなんです。衝撃をうまく逃がすことで、刃へのダメージを減らしていました。
また、「人間の脂で切れなくなる」といわれますがこれは本当です。一回斬れば、刀は切れ味が悪くなります。包丁も、生肉切ったら切れ味が悪くなりますね。居合いの世界では、刀についた血糊を振るい落とす「血振り」という動作を行います。また、たとえ切れ味が悪くなってもちゃんと刃筋を立てて斬れば斬れないこともなかったとか。
このように、日本刀も武器である以上耐久性も兼ね備えていました。しかし、歴史を紐解けば「2,3人切っただけでだめになる」刀は存在しました。江戸期にかけ、徳川泰平の時代になると刀は使われなくなり、粗製乱造品が多く出回りました。鉄砲の伝来により刀は徐々に合戦では使われなり、刀は美術的価値を高める方向にいったということです。耐久性よりも見た目の美しさを追求するようになったというわけですね。
もちろん、武器としての刀は作られていました。しかし、日本刀は一振り作るのにかなりの技術力とコストを要するのです。そのため、伝統工法でつくられた刀とは別に簡略化された工法でつくられた刀が増えていきました。その最たるものが「昭和新刀」、いわゆる軍刀です。近代になり、刀などの接近武器は完全に廃れました。旧日本軍は将校クラスの軍人には軍刀を支給していましたが、それは主に指揮刀としてであり実戦を考えて作られたものではありません。スプリングを鋳潰して型に流しただけ、という刀とも言えないような刀、それが昭和新刀なのです。当然、こんな刀じゃ100人はおろか1人だって斬れませんわな。
しかし、満州事変の後、当時の満州国で「満鉄刀」という、実戦用の軍刀がつくられたという記録が残っています。これは、伝統的日本刀の工法とは違う方法でつくられた刀だそうですが、残念ながら工法は伝わってはいないようで。寒冷地でも抜群の強度と切れ味を誇ったそうな。(厳寒地帯では刀は脆くなる)
さて、現代に目を移してみましょう。現代で刀を使う機会といえば、居合いや古流の型稽古、斬ってもせいぜい巻きわらぐらいなものです。まず、斬りあいなんてありません。あったらえらいこっちゃ。よって現代刀、特に試し切り用の刀は昭和新刀のような安価な刀を使う場合が多いです。(昭和新刀でも巻きわらぐらいは切れます。日韓親善武術大会では、演舞に用いられたそうです)
居合い用の刀、これは模擬刀を使うことが多いですが真剣を使う場合もあります。居合い刀は特に、振ったときに音が出やすいよう刃を薄くしたててあります。まあ、戦国時代だったらそんな刀使ったら真っ先に討ち死にでしょう。
これは、決して現代の刀工の腕が悪いというわけではありません。日本刀は最良のものを作るのに、熟練の技、最高の素材が必要になります。とにかく、コストがかかるのです。あるナイフ職人が、ナイフ作りに日本刀の手法を取り入れようとしたが同じ材料で倍の値段と時間がかかると判断し、断念したという話があるくらいです。
それでも、ちゃんと伝統工法で作られた刀はあります。そうした刀を作って伝統を守り、後世に伝えてゆく現代の刀匠たちには敬意を表したいものです。