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高校のときだったかな、柔道部のやつに「剣道なんて、棒がなけりゃ戦えないじゃねえか」とか言われたことがあります。つまり、街で喧嘩吹っかけられたらまず武器を探さなければならない。実用的じゃない、といわれたわけです。剣道を喧嘩で使う、というのはもちろん不謹慎で武の心からは遠ざかった行為なのですが、当時の私は反論も出来ず非常に悔しい思いをしたものでした(笑)
格闘技や武道には、武器を使うものと使わないものがあります。前者を「武器術」後者を「徒手空拳」とわけたりしますね。大抵、漫画だと武器を使うほうが悪者で使わないほうが主人公側だったりします(笑) そうでなくても、やはり武器と素手はまったく別の武術として扱われます。しかし、古代においては武器と徒手は渾然一体となったものでした。というよりも、むしろ武術は「武器ありき」で、武器術が主、徒手空拳は武器術のおまけ程度の存在だったのです。
当たり前ですが、素手の殴りあいで戦争するバカはいないわけです。近代ならば弾道弾ミサイル、有史以前なら棍棒ででも戦争したでしょう。鋭い牙や爪を持たない人類にとって、戦いの歴史は武器の発達とともにありました。これは無視出来ないことでしょう。つまり、戦場で武勲を立てるものは武器の扱いに長けるものだったのです。したがって、武術もまた武器術を研鑽するためのものでした。
たとえば、徒手空拳のイメージの強い唐手ですが、古式の唐手には多くの武器術が存在します。棒、トンファー、ヌンチャク、サイなどがポピュラーですが、唐手の型の多くはこれらの武器の型から来ています。腰を落として突くスタイルは、棒を突く動作から来ています。また、突きを撃つにはまずサイを扱う技術から学ぶ必要があったそうで。トンファーで敵の攻撃を受ける動作が、そのまま上段揚受けになります。中国からの拳法が伝来し、唐手が出来たといわれますがその中国拳法とて武器術が主でした。八極拳の始祖、李書文は槍の名手としても知られています。形意拳のひとつに、「崩拳」という技があります。これはいわゆる突きなんですが、これは「六合大槍」というひじょーに重たい槍を突き出す動作から来ているのだとか。
また、レスリングにはフリースタイルの他にグレコローマンというスタイルがあることをご存知でしょうか。このグレコローマンは下半身のタックルを禁じていますが、これはローマ時代の剣闘士たちの戦いに由来するといわれています。いまのスポーツとは違い、当時は命がかかっていますからね。相手が剣をもっているのに、いきなり下半身にタックルきめる奴はいないわけです。そんなことしたら上から刺されて串焼きバーベキューにされるのがオチ。まず剣同士で戦い、隙を見て剣を封じ込めて胴体にタックル。相手の剣を奪って止め、というのが主流だったそうです。ドイツ剣術の型なんかでも、そんな戦法がとられています。
さて、冒頭の「喧嘩で使えない」発言を繰り出した彼。奴がやっている柔道ですが、古来日本には「柔術」という武術がありました。これは、相手を投げ飛ばしたり関節を極めたりという組討技術なのですが、柔道はその柔術が元になっています。加納治五郎が柔術から柔道を創始したわけですが……この柔術、じつは剣術から派生したものです。
戦場で矢が尽き槍が折れ、刀が曲がった――そんな窮地に陥ったときの対刀用に伝えられた技法。それが柔術です。相手が刀で切りつけてきたとき、体捌きで懐に入って刀を奪い、敵を組み伏せる。その技術が、後に「柔術」として独立した体系を持つようになります。しかし、元が対刀の武術なので各柔術流派はまず、入門者には剣術を教えていたそうです。柔道よりも柔術体系を色濃く引き継いだ合気道では、やはり剣術を教えています。私が習っていた合気道の師は剣道の心得もあったようで、いろいろ教えていただきました。古来より、剣と体術は表裏一体。格闘技でははじめに武器ありきです。この辺、理解していると小説の戦闘シーンなんかがリアルに……いやまあ、それはわかりませんけどね。
『監獄街』で真田省吾が遣う「一心無涯流柔拳法」は、武器と体術の体系が折り混ぜられた武術です。読んでご確認いただければ(強制終了
失礼しました。
次回から、もうちょい具体的に見てきましょう。第五回は「武器術で得られる体術の効果」などなど。いつやるかは未定っす。