というわけで,一周年記念。第一回は,刀剣講座。
え,いらないって? いやいやそんなことおっしゃらずに……
さて,まずは刀と剣について説明しましょう。
剣とは,両側に刃がついています。直刃で,刺突に適しています。一方刀は,片側に刃がついており,湾曲していることによって切断力を重視しています。この辺は,常識でしょうね。
前回,剣は斬ることはないと書きましたがまったく斬れないわけじゃありません。西洋の剣は重みで叩き斬る,いわば鉈のような使い方をされていたそうです。よって,西洋の長剣は日本刀よりも重いです。鉈と同じく,頑丈ですが切れ味はそうでもなかったとか。まあ,それでも豚の肉くらいなら切れたらしいですが(マテ)
これを,甲冑の上から叩きつけるわけです。斬れないというより,斬る必要がなかったそうで。だから,日本刀なんかに比べるとナマクラなんです。(サーベルとかはまた後日考察します)
日本刀は,鉄を薄く伸ばして鍛えており,刃は薄くできています。カミソリの刃を思い浮かべていただければわかりやすいかと。西洋の剣は刃に触っても切れません。が,日本刀は切っ先にちょっとさわっただけでも皮膚が傷ついてしまいます。それほどまでに切れ味は深い。ただし,その分脆かったようです。実際,刀は横からの衝撃に弱くまっすぐ切り込まないとすぐに曲がってしまいました。また,時代劇でよく「峰打ち」なんてやってますが,峰のほうで打つと刀折れてしまったそうで。扱いは難しく,乱戦には向かないタイプだったのです。
戦国時代の刀は,それでも結構頑丈にできているそうですが,江戸から明治,昭和の刀は結構すぐに折れちゃうものが多かったそうです。
もし,小説で剣戟を書かれる方がいらっしゃったら,まず刃の強度に触れてみてはいかがでしょう。鉈か,カミソリか。剣で戦う場合は,頑丈だけど切れ味は望めない。刀で戦う場合は,切れ味は抜群だけど脆い,と。武器によって一長一短あるものです。
さて,もうひとついきます。
日本の剣術のほとんどが「刀」を使います。長刀や小太刀など,流派によって獲物も様々ですが,現代に伝わる剣術で諸刃の剣を使う流派はほとんどありません。少なくとも私が知る流派は,全て刀を使用しています。
しかし,「剣」は前述したように直刃の諸刃の剣のことを言います。刀を使うなら,「刀術」と記さなければならないはず。なのに,「剣術」。それから派生した剣道も,「剣」の字をあててます。
それだけじゃなく,司馬遼太郎の「燃えよ剣」だとか津本陽の「剣の命」とか,日本刀そのものを「剣」ということが多いです。これはいったい,なんででしょう。
日本武術の母体となった中国武術では,剣と刀は明確に分けられます。太極剣,長穂剣,双剣などを扱う場合は「剣術」。柳葉刀,青龍偃月刀を扱う武術は「刀術」と明確にわけられます。しかし,日本では刀を扱うにも関わらず剣術,日本刀も刀と呼ばれたり剣と呼ばれたり,刀と剣がいっしょくたにされてます。
最初,大陸から日本に渡ってきたのは「剣」でした。飛鳥や奈良の遺跡からは,諸刃の「剣」が出土されています。当時は,大陸の文化をそのまま受容する,という文明でしたので装束も武器も,すべて中華風だったんですね。
それが,武家が現れた平安後期から変わってきます。
というのも,武士の台頭により,合戦は馬上で斬り合うスタイルに変わってきました。馬上では,まっすぐな剣より反りのある刀のほうが扱いやすかったのです。当時の刀は,江戸期に造られた作よりもさらに反り返っています。この当時は,片手で刀を扱っていました。
鎌倉時代には,武家の力が強くなりさらに刀が生産されるようになりました。元寇の襲来は,刀市場をもっとも活発にした事件でもありました。このころ,現代の国宝である正宗が作られました。現代の刀の原型が,このころ出来上がったわけです。剣が,完全に刀に移行したわけです。
戦国時代には,足軽と呼ばれる雑兵の出現により馬上での戦闘から歩兵戦重視の刀がつくられるようになりました。反り返った刀から,反りの少ない刀へ。現代の日本刀に近い,接近戦用の刀が生み出されました。
その後,明治9年の廃刀令まで刀は多くつくられ,武士の標準装備となっていったのです。
こうした歴史の中で,中華風の「剣」はほぼすべて,完全に「刀」に移行しました。そのため,剣と刀のがあいまいになってしまったわけです。
では,日本ではなぜ諸刃の剣が使われなかったのか。実際,多種多様な刀剣が生み出された中国,西洋と違い日本刀はあまり種類が増えることはありませんでした。これは,日本刀がそれだけで完成された武器に進化していったという証でもあります。
まあ,日本刀と武士道,剣術は密接につながりあっており,剣が刀にとってかわる余地はなかったとも考えられますけどね。
次回も刀剣,今度は「手の内」について考察します。
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