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1人はでっぷりと太った中年、もう1人は若い男だった。素肌にジャケットを引っ掛けて、胸元までだらしなく開けている。この界隈で幅を利かせている連中だ。
疾人はもう1人、後ろに控えている男を見る。明らかに、毛色の違う奴だと思った。身の丈2メートルはありそうな、禿頭の男。ステロイドで増強された筋肉に覆われて、皮膚は緑かかっていた。硬質の肌、遺伝子導入の産物。良く見れば、表面は鱗のようなもので覆われている。爬虫類の膚をしていた。
拳頭にはチタンを埋め込んでいて、鈍く照り映えていた。ぎらついた目が子供達を睨めつけて、舐めるように一周、探るように道場を見回した。
「支那人のぉ、いるかや」
中年の方が道場に踏み込んでくる。子供達は壁際で震えていた。
「何です、あいつら」
「ヤクザがね、遊技場建てるから立ち退けってさ。あとは、まあ……移民の宿命みたいなものね、慣れている」
毛美麗は自嘲気味に笑い、男の前に歩み出た。
「ヤマネさん、今日はどんな?」
ヤマネなる男は咥え煙草を吐き捨てて、毛美麗を上から見下ろすように睨みつけた。
「いつまでガキ共遊ばしてんつもりだかな、ガキの面倒見ていてよく飽きんものだ」
「関係ないでしょう。それより、道場内では靴を脱いでください。あと煙草」
「偉そうに抜かすな、支那人」
と言って
「天皇陛下を追いやった。貴様ら、中国人が日本武術なんて教えられるよなあ、日の本で。こんなトコでガキの世話まで……」
若い男が壁際に近寄って、手前にいた女の子の髪を引っ掴んだ。やめろ、と毛が叫ぶより先に
疾人が動いていた。
クナイを抜き、男の腕に突き刺した。男は悲鳴を上げて、手を離した。間髪入れずに足を払い、仰向けに転がす。刀を抜く。柄に埋め込まれた細胞センサが、疾人のDNAに反応すると、それがスイッチとなって刃を振動させる。飛燕が造った、細胞応答スイッチ搭載型の振動剣。
疾人は逆手に構える、男の目が恐怖に彩られた。切っ先を男の喉に突き立て――
「そこまでよ、疾人」
毛美麗がいうのに、刀を止める。刃先が、男の喉元わずか1ミリのところにあった。
「師匠、しかし」
「子供たちの前よ、道場で血を流さないで」
そう言われて、初めて子供たちの怯えた視線に気づいた。
「あんた、その刺青」
とヤマネが、疾人の顔と腕に彫られた刺青を見て言った。
「うちの師に、何をしようと言うのだ貴様ら」
「師? ふうんそうか。あんたがねえ……」
ヤマネが不敵な感じに笑う。次に毛に向き直って
「まあ、それはともかくだ。毛、あんたがこの土地動かないってなら、無理にでも退いてもらうしかねえ。ボーグ」
背後に控えていた大男が、ヤマネの呼びかけに反応して唸り声を上げた。ボーグ、それがあのサムライの名らしい。腰を落として、歩幅を広くとった構えを見せる。疾人は刀に手をかけるが
「手は出さないで」
毛美麗が言う。
「しかし」
「それより、子供たちを」
毛は既に構えていた。右手を前に、剣でいう正眼の構えに近い構え。右足を踏み込んで、つま先を僅かに浮かす。間合いを詰め、歩幅は一定に。重心は両足に、均等にかかっている。
急に、ボーグが飛び込んだ。床板を踏み抜くほどの脚力で、一気呵成に攻め込んだ。
右拳を毛の顔面に叩きつける、凄まじい速度。
毛の右手が揺らぐ。ボーグの、ストレートに突き出された腕に被せるように自身の腕を乗せ、突きを流した。手首を取り、体を転換させて、投げの体勢を取ろうとする。
だが。ボーグがにっと笑ったのを疾人は見逃さなかった。
ボーグは突き出した腕を折りたたみ、踏み込み肘を突き出した。毛の、がら空きのボディに献肘。毛美麗の体が、吹っ飛んだ。
猛虎硬爬山――八極拳か、と疾人が身構えた。毛がよろよろと立ち上がるのに、ボーグはさらに左掌を突き出した。毛はそれを右手で跳ね上げだ。次に来るのは、右手刀。毛がそれも流し、懐に入り込む。そこにボーグは肩で、体当たりを食らわした。
少なく見積もっても、100キロは下らないボーグの体。その体重を叩きつけられれば、毛美麗の細い体は耐えられるはずもない。2メートルは吹っ飛んで、壁際に押しやられた。
窮地に立たされる。
ボーグが、間合いを詰めた。毛は口から血を流している。もう限界だ、助けに入ろうとクナイを抜いたが
「じっとしていなさい、疾人」
毛の口調は強かった。その声に、気づけば疾人は動きを止めていた。師が弟子に諭す、厳しくも静かな声だった。
「じっとして、そこで見ていなさい。わたしが闘うのを」
そう言って構える、その佇まいは凛として強かだった。
ボーグが踏み込み、突きを放つ。チタンの拳が毛の顎を捉える。
毛が体を転換させた。右足を軸に回転し、ボーグの伸び切った腕を取った。頂肘に変化する、よりも先に肘を押さえ、手首を捻った。
尺骨が縦につき上げられて、肘が極まる。悲鳴を上げてボーグが飛びのく、その隙に素早く壁際から脱する。道場の中央に躍り出て、手招きした。
来い――ボーグはそれを見て、あからさまに逆上していた。構えも無しに、無茶苦茶に突っ込む。野獣のように。右手を突き出すのを毛は掌を返して受け流し、左手で取った。ボーグの左突き、右手で取る。両手がクロスする形になり、そのまま締め上げた。ボーグの顔が苦悶に歪む。
手を振り払い、ボーグが前蹴りを打った。毛は半身に切って、膝裏に手をあてがい、ボーグの足を抱え込んだ。ボーグが狼狽しているのに体を入れて、脚を押し上げた。バランスを崩し、仰向けに転がった。が、すぐに起き上がり右掌を見舞う。毛は左手で絡め取るが、逆に腕を取られ、右貫手を打ち込まれた。肩に当たり、骨の砕ける音がする。呻きながら、距離を取った。
一気に、間を詰めた。毛の姿が、一瞬揺らいだ。
ボーグが右突きを打つ、それと同時に毛が踏み込み、掌底を差し出した。ボーグの顎を跳ね上げる、ボーグが仰け反る。間髪入れずに腕を取った。肘関節の逆を取り、手首を捻って背中側に投げ落とした。倒れこむに、道場全体が揺れた。怒り狂ったボーグは、仰向けの状態で蹴りを打った。毛はかろうじてそれを受ける。後ろに下がる毛を、ボーグが追う。
踏み込み、掌打。
毛の手が、ボーグの腕を沿う。体を入れ替え、ボーグと並び立つ。肘の下に手を差し入れ、逆関節を取りつつ体重を前にかけた。
ボーグの両足が、浮いた。2メートルの巨体が前のめりに宙に浮き、反転する。
手を、離した。
巨体が、飛んだ。入り口側で見ていたヤマネを巻き込み、壁を破壊して外へと投げ出される。ボーグの下敷きになったヤマネは、泡を吹いて気絶してしまった。子供たちが、わっと沸き立った。
「あらあら、困ったね。また修繕費がかさむ」
毛は壊れた入り口を見て言った。至って朗らかに。
「見事な合気です、師匠」
疾人が言うに、「うん」と言って微笑んで
「長くやっていれば、あれくらい造作も無い。あなたもできるでしょう」
「俺には、どうも……」
ヤクザたちが退散するのを見て思う。生身で、改造されたサムライに立ち向かう度量も、武器を持たず、相手を殺さずに制することなど。振動剣と、120種ものDNAを導入された戦闘体は、殺すためにあるのであり、守るためのものではない。師は、そんな疾人の心のうちを知って知らずか、軽く肩を叩いて言った。
「ああいう手合いはこれから増えてくる。どうにも手に余るな」
毛美麗は向きあって、疾人の目を覗きこんだ。清んだ眼を、している。少なからず狼狽した。師の目を見ようとして、結局疾人は目を逸らした。毛は、そんな疾人を咎めるでもなく、柔和な笑みを浮かべた。唇から真っ白な歯がこぼれて、疾人頭をくしゃくしゃと撫でまわした、幼い頃のように。
「まあ、また来なさいよ」
と毛が言った。
「お茶くらいは、出すからさ」
その言葉は寂しげに響いた。