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本作は、空想科学祭出展作品『夜狗-YAKU-』のスピンオフとなっています。本編のネタバレはありません。本編での加奈たちの敵、傭兵団“幸福な子供たち”の1人、疾人が主人公です。
それではどうぞ。
“中間街”の、粘膜めいた地に足を踏み入れる。有機物の、腐敗臭が満ち足りて、重金属色の水溜りに靴を濡らし、疾人はトタンの壁に背をつけた。
倉庫の中、黒服の男たちが、黒鉄の仰々しい得物を手にして立っている。中央のテーブルにあるのが、今回の依頼のブツ。バイオチップだ、と飛燕が言っていた。ヤクザの資金源の一つが、ストリートの孤児から切り取った幹細胞、臓器片を用いた生体素子集積体。ガキども攫って、錆びた刀で切開き、パックに詰めてグラムいくらの取引――理解に苦しむ、と疾人はクナイの刃に指を添わせた。
息を潜めた。素早く息を吸い込んで、丹田に落としこむに、力が体内に宿る。血が沸き立つ、感触。両手にクナイを抜き、かかる目標を確認する。人数、立ち位置、武器など――ふと、天井を見やるとブラック・ウィドウが、指先の単分子刃を引っかけるようにして張り付いていた。あの赤いドレス、目立つからやめろといったのに。まあ、装いなどなんでもいいが。
軽く、頷いた。合図だ。
疾人は飛び出した。男たちが疾人の存在に気づき、ライフルの銃口を向けた。
打剣。
クナイが直線に飛び、男たちの手首を貫く。銃を落とした、その瞬間。腰の刀を抜き放った。
空気を切り、音速も超える居合抜き。旋風を巻き起こし、遅れて血飛沫が舞う。また新たな銃声。疾人は身を低くして、懐に飛び込んだ。
諸手に持ち変えて、両断に斬る。振動剣が銃身諸共断ち切る。
ライフル弾の、等間隔の射撃。疾人の目が、螺旋に回転する先端を捉えた。刀を正眼に、鎬を返して銃弾の軌道を変えた。男たちが、呆気に取られた顔をしている、そこに飛び込んで順繰りに斬った。切っ先が頭蓋骨を割り、髄液に浸った中身を巻き散らす様が網膜に写るに、疾人は冷めた思いで見つめていた。
中央の男が立ち上がって、国産の拳銃を構える。疾人は刀を、八相に構える。銃声と共に飛び込んで、横薙ぎに振るった。頚骨を断ち、寸断された首が落ちる。一拍おいて、黒い血液が噴き出る。人工血球が疾人の顔を、叩いた。
首を失い、血の池に沈んだ。ヤクザもナノバイオ医療受ける時代か、と言って刀を納めた。刃に血はついていない。振動が血を、払ってくれる。刀身は決して汚れない。
「ええ? もう終り?」
背後から、ウィドウが不満そうに言うのへ
「あとは、こいつを持ち帰るだけだ」
疾人は、男が持っていたアルミのケースを差し出した。
「なによー、まだ全然、アソび足りないわよ」
とウィドウがむくれた、その背後には紫色に皮膚を変色させた骸が折り重なっている。先天的に、体内に毒を宿すウィドウにしてみれば確かに物足りないのだろう。
「仕事は終りだ、帰るぞ」
「えー、つまんないつまんない、つーまーんーなーいー。もっと切りたーい」
「知らん」
こいつはいつもこんな調子だ、緊張感の欠片も無い。首を振って、疾人は刀を納めた。
「そんなに切りたいなら、その辺の野良犬でも相手にしていればいいだろう」
「つれなーい、疾人」
ウィドウは不満そうに刃を引っ込める。と、左肩に痛みを感じた。9ミリの弾頭が肉にめり込んでいる。指を突っ込んで、銃弾を抉るように摘出した。繊維が糸を引き、血が滴る。血は、赤い色をしていた。自分の中に在るのは人工物ではない、自然に備わった血。ただ、その血も、肉も、一つの胚から造られた人工物。生まれ持った体に人工物を流し込むのと、最初から終わりまで造られたこの体と、どちらがより人間らしいといえるのか。
あるいはどちらも――
疾人の端末が震える。ディスプレイには、“李飛燕”とあった。
《仕事はどう? 疾人》
電話に出ると、飛燕の声が聞こえるに、疾人は
「厄介だ」
《そう? すぐに片付くかと思ったけど》
「片付いたさ、ただウィドウがごねている。うるさくて敵わん」
《ああ》
と飛燕が笑い
《あの子はいつも、獲物を探しているからね》
「毒蜘蛛の遺伝子なんか導入するから」
言うと、電話口で飛燕が笑った。笑い事じゃあない、とぼやいた。
「ブツは手に入れた。今から帰還する」
そう言って電話を切る。丁度足元で、疾人が今しがた斬った死体をウィドウが弄っていた。帰るぞ、と声をかける。気を鎮めるために、目を閉じて息を吸い込んだ。強張った筋肉が、ほぐれてゆく。と、ウィドウが
「あ、ようやく」
出し抜けに言う。何がと問うと、ウィドウが
「ようやく、目閉じたねえ。あんた、全然瞬きしないもんだから」
「瞬き? ああ」
と疾人は言って
「確かに、斬り合いの時は瞬きしないな。剣ってのはそもそも、相手から目を離さないものだから。僅かな瞬きも、命とりになりかねない」
「そう? でもあんた、すごいね。長時間瞬きしないで、目ぇ乾かない?」
「眼球は瞬膜で保護されるように出来ているからな」
「瞬膜って、サメみたいな」
「そうだ」
「ふーん……」
言ってウィドウは、刺青の彫られた疾人の顔を、物珍しそうにじろじろと見た。舐めまわすような視線に、そろそろ抗議の声を上げようとしたとき
「そうなんだねえ。でもあんた、ずーっと目、開きっぱなしで気持ち悪いよ。それでいて涼しい顔してんだから。あたしなら感涙の涙にむせび泣くね、ドライアイで」
ケタケタと笑うのに、疾人はどうということもない、というように言った。
「俺には、涙腺がないからな。よく、分からん」
かなり手ごわいよ、と飛燕は紅色の目を細めた。鋭角めいた顎、細い首にかかる銀髪を鬱陶しそうに払いのけて言う。人を食ったような笑みはなく、真剣な表情だった。
「ターゲットは」
「おそらく、今までで最もやりづらい相手だろうね」
そう言って、写真を差し出した。アナログな、プリントされた写真。それを見るに、疾人の心の内が、ざわめいた。
「確かに、な」
飛燕が言うのに、疾人が写真を眺めながら、言った。
「厄介だ、かなり」
伊豆からさほど離れていない旧市街地、ここに落ち着いたのはひと月前だった。ヤクザたちの抗争が激化するところに、“幸福な子供達”は拠点を置いていた。疾人やウィドウのようなサムライは、ヤクザたちにとっては体よく使い捨てることのできる筋肉、国中を歩き回ってヤクザたちと日当いくらという契約を交わす。大掛かりな仕事もあるが、大抵はヤクザ同士の潰しあいに駆り出される。暗殺や強奪、抗争の鉄砲玉や、下らない縄張り争いのために剣を振るう――疾人たちは、そうやって生きている。
12年前、飛燕によって生み出されてからずっと。
構造物の間からわずかに覗く空は、違法営業店の看板に遮られて日の光も届かない。良くある光景だ、“中間街”には。李飛燕に従って、この国の隅々まで歩いてきたから、見慣れている。ありふれた“蟻塚”と溶けかけた砂糖菓子の廃墟、ゲル化溶液が土に混ざり合い、垂れ流された排水が腐食した壁を伝う。
ここで生きることができるのも、今から会う人がいたからだ。
“蟻塚”の群を抜けると、トタン張りの小さな家がある。孤児ばかりを集めた、個人経営の擁護院だ。“中間街”界隈で、ヤクザたちの手を逃れるための、唯一救いとなり得る施設。疾人が近づくに、中から気勢に満ちた声が響いてくる。やってるな、と疾人は少し顔を綻ばせた。懐かしい、気合と汗の染み付いた道場。この地に戻ってきたのだと、実感する。
道場に入ると、手前で木刀を振るっていた、道着姿の男の子が目に映る。疾人が軽く手を振って
「君の先生は、どこに」
そう訊くと、男の子が道場の奥に向かって呼びかけた。5歳くらいの女の子に竹刀の振り方を教えていた女性が振り返った。艶めいた髪が揺れて、白い道着に映える。心臓が一つ、高鳴った。
「ここに戻ったからには、一度ご挨拶をしなければと思いまして」
頭を垂れて、疾人は言った。
「お久しぶりです、師匠」
女性は――疾人が師と呼んだその女は、柔らかく微笑んだ。
「よく、来たわね。疾人」
道場は養護院の裏手に位置している。ストリートチルドレンを受け入れ、成人するまでここで基礎知識と職業訓練を施すために創設された。路上での護身術を学ぶべく、ここでは子供達に武術も教えている。
その道場主であり、養護院の創設者でもあるのがこの女性。毛美麗、移民2世。この地で毛自身が習得した剣を広め、子供達の世話もしている。
「2年ぶりかしらね、前はそんな刺青していなかった」
と毛美麗は飲茶を注ぐのに、疾人は己の顔を撫でた。トライバル系の刺青は、ここを出てすぐ、『新宿闘争』の時に入れたのだった。何か言われるのかと思ったが、それ以上は追求されなかった。
20人の子供を収容する、養護院の食堂は相変わらず狭かった。古びた木製のテーブルと土の壁、あの時のままだ。
「けど、全然変わっていない。安心した」
毛は微笑んで、飲茶を差し出した。クローン培養ではない、天然の茶葉の香り。淹れられた茶に口をつけ、口中に広がる甘みを噛みしめた。
「先生も、お変わり無く」
「まあね。この所、ヤクザの抗争が激しいけど何とかやっているよ。なんとかね」
「そう、ですか」
よかった、と疾人はこぼした。
疾人は2年前までここにいた。武術を習うべく、飛燕の計らいで毛の道場に通うようになったのだ。強化された肉体を持つ疾人の特性を生かすべく、毛美麗の剣を学ばせるために。
師弟の関係は、2年前の『新宿闘争』まで続いた。疾人がサムライとして戦うまで、疾人はこの道場で竹刀の音を聞いて育ったのだ。
「子供達の数も、大分増えたわ。ストリートにいる、全ての子供をというわけにはいかないけど」
「そうみたいですね、随分いたんで驚きましたよ」
「お陰で養うのが大変だよ、上の子達の助けでなんとかやっている」
この養護院では、15を過ぎると養護院の経費を稼ぐために工場に出稼ぎに出る。腕の立つ者は、用心棒稼業にも身を投じる。疾人自身も、道場にいたころは警備の仕事などをしていた。サムライになったのは、その延長なのかもしれない。
「それにしても、良く戻ってきたわね。あの時、急に飛び出していったから」
毛美麗の言葉に、疾人は湯呑みを置いて
「心配していた」
「まさか」
「本当だよ。自分の子の、心配をしない親がいて?」
毛美麗は頬杖をついて、疾人の顔を覗き込んでくる。顔を背けながら疾人は
「子供なんて」
「わたしにとっては、子供みたいなものさ。皆ね」
と毛が言って
「疾人。あなたは今、何をしているの?」
そう問うのに、一瞬、言うべきか迷った。自分はサムライで、この人が――毛美麗が嫌っていた、汚れ仕事をしていると。俺は、あなたの子供たる資格などない。俺はあなたがもっとも忌避していた、人を殺す、力を振るう側に立っている、と。だが、言えない。言える筈もない。
「訳ありか。言いたく無いことも、世の中にはあるものだ」
そう言って毛は湯呑みに口をつけた。一息ついて、
「疾人、道場に戻ってくる気は無い?」
唐突に毛が言うのに、ややあって疾人が顔を上げた。
「あなたがその気なら、ここの道場をあなたに譲ってもいい」
「どうして、そんな」
「どうして? さあ、なぜかしらね」
そういった、その横顔に濃い陰が差すのを見た。ふと、毛美麗という女が歩んできた年月が、疲労の色と共に浮かび上がる。俯き加減に、節ばった指先をすり合わせる師の姿が、急に小さく見えた。
ああそうか、と理解する。この人はずっと1人で――疾人の視線に気づいたのか、毛は、ぱっと顔を上げた。
「ああ、悪いね。変な話になって。今の、忘れて? ね?」
慌しく急須を片付け始める。疾人は立ち上がり、
「俺が……」
と言いかけたとき。
道場の方が、急に騒がしくなった。子供達の悲鳴に混じって、男の怒号が響く。何事かと疾人は立ち上がる。毛はうんざりといった様子で言った。
「またあいつらか」
「また、って。何です?」
「ん……まあ、何というかね」
毛美麗は肩をすくませて
「“中間街”に生きる以上、厄介ごとはついてまわるものよ」