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最終話です。
なんか、色々迷走してしまって申し訳ないです。
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「どうしても、行くかい。疾人」
その日、“蟻塚”に戻った疾人に向かって、飛燕が言った。覚悟は決めている、と疾人が言うが
「辞退してもいいんだよ? やっぱり、やりにくいだろうし」
「金が要るんだろう、飛燕」
と言って、疾人は刀を手に取った。振動剣の黒塗りの柄に、赤い勾玉が揺れた。
「それに、俺にしかできない」
「そうだろうけど」
ふと、刺青を撫でた。全然変わっていない、と師の言葉を、思い出す。
変わらずにいられるわけがない、俺はもう、あんたの弟子じゃあない。
夜、2人は道場の外にいた。
月明かりが差してくる。煌々として満ち足りて――2人分の影を作った。
「いい月ね」
と毛が歩きながら言うのに、疾人は黙って付き従う。「話がある」と言って、連れ出したはいいがどう切り出すか、タイミングを計りかねていた。
「そういえば昔、こういうことを聞いたことがある」
毛が突然切り出すのに、疾人は何かと問う。ふと、毛が振り返った。笑いかけて
「15日目の満ちた月には、希望がない、ってね」
「それは、どういう」
「ほら、満ちたあとは欠ける一方だろう。一度満月になれば、あとは下り坂。人間も同じだね、一度上り詰めれば、転がり落ちれば早い」
毛はそう言うと、今度は小さく、独り言のようなことを呟いた。唇がわずかに動くのを見るが、何を言ったのかはわからない。
「この辺がいいかな」
と師が足を止める。崩れた橋梁の下、人通りはない。ここなら、理想的だと毛が言う。ここで、やろうか――その意味を、疾人は正しく理解した。
「いつから……」
疾人が言うのに、毛はやんわりと微笑んだ。
「“中間街”に長くいればね、聞かなくてもいいことまで耳に飛び込んで来る。刺青の忍者、赤い勾玉……気づかないわけ、ない」
沈黙が流れた。恐ろしく長い、沈黙。疾人はまともに、毛の顔を見ることが出来ず、ただ己の手元を見つめていた。
心臓が蠢いて、筋肉が強張る感じがした。
「依頼人は、あのヤクザたちかしら?」
「誰が依頼したのか、分からない。ただこれは仕事だ。だから」
言うと、疾人が刀を抜いた。黒い拵えから放たれた銀の刃が、月明かりに映える。振動が掌に震える、高周波が宵闇に溶ける。疾人は正眼に構えた。
「ゆっくり老後も過ごせないか」
毛はため息をついて、背中から小太刀を抜いた。
「俺にとって、あなたは目標でしたよ」
と疾人が言い、
「憧れだった、あそこにいるガキ共全ての。だから……」
「これから斬り合うというのに、随分饒舌だな」
と毛が言った。凍りつくような、抑え気味の口調で。
「黙らないと、死ぬよ」
喉が勝手に上下した。改めて対峙してみると、その重圧に気圧されそうになる。決して長いとはいえない、小太刀の切っ先から迸る、殺気。肌を刺す。眼光鋭く、動けば斬るという無言の警告が、粒子の層となって毛の体から滲み出て、疾人自身を包みこむようだ。
獣を前にしたような、戦慄。
じりじりと詰め寄る。切っ先がそれだけ、近くなる。恐怖を、感じる。内臓を締め付け、血の流れが滞りそうになる。息が、詰まる。
汗が伝った。
頭上には、満月。月光が突き刺さる。
その月が、暗雲に隠れた。
同時に動き出した。気を充実させて、真っ向打ち込む。風を切る、音。毛が下がるのに、さらに追う。力を溜めて、諸手突きを打った。
切っ先の先、毛の姿が消えた。
右斜めに気配、首筋が粟立つ。本能的に顔を逸らすと、刹那の遅れを以って小太刀が空を切った。頚動脈の上、皮一枚が斬られる。疾人が距離を取るも、毛が距離を詰めてきた。間合いを、切れない。
横薙ぎに斬った。胴を狙う、それよりも早く毛の手が伸びる。懐へ侵入を許し、手首を押さえられる。斬撃が、封じられる。毛が突き刺してくるのを、左手で小太刀の柄を取った。
密着した状態で鬩ぎあう。と、毛が足払いを繰り出した。膝から下が消失したような心地を覚える。疾人が仰向けに倒れこむのに、眼前に切っ先が迫った。
咄嗟に手首を取る。右の眼球を貫く寸前で止まる、刃。毛が、のしかかるように小太刀を突き刺してくる。疾人は毛を蹴り飛ばし、かろうじて起き上がった。毛が体勢を立て直して、再び構える。
歩を、詰めた。毛は中段に、疾人は霞に構えた。
本気だ、と感じる。本気で、殺しに来ていた。穏やかだった師の眼は、猛禽の鋭さを増している。確実に刃を急所に切り込んで、一手一手が非情な重みを伴う。
全身の筋肉が脈打っていた。息が、切れる。それに対して、毛の呼吸は乱れていない。汗一つ、かいていない。
やはりこの人は桁違いだ、と思った。20年以上、あの道場を守り続けてきたという、その重み。ひしひしと、感じる。それに引き換え、疾人には何もない。守るものも、背負うものもない。全くの素裸。
息を、吸い込んだ。
同時に、毛が一つ飛びで間合いを詰めてくる。疾人のすぐ目の前に、刃が迫っていた。
完全に、虚をつかれた。疾人は狼狽し、斬撃を避けるのに精一杯だった。吸気の瞬間、人は居着く。その居着いた瞬間を、狙ってのことだった。
袈裟に斬る、小太刀。疾人は咄嗟に防いだ。刃が切羽に当たる。間合いを切らんと飛び退き、前蹴りを打つ。毛が体を折るのに、打ち込んだ。
疾人が打ち下ろすのに合わせて、毛は一旦下段に下ろし、ためを作って上に跳ね上げる。小太刀の、表鎬を使って疾人の刃をすり上げた。
鉄が、火を噴く。剣が、右に流された。
踏み込み、斬剣。毛の小太刀が、疾人の額を切り裂いた。肉を切り、遅れて血が噴出す。また、切りこんでくるのを、飛び上がって避ける。そのまま間合いを切った。
毛は落ち着いて、小太刀を中段に構えた。血塗れた刃を掲げ、その血は疾人のもの。
傷口に手をあてがう。傷は、思いのほか浅い。だが、神経結合を強化された体には思いのほか堪える、痛み。無駄なところで敏感に造りやがって、と創造主たる飛燕を一瞬恨んだ。
毛が間合いを詰めてくる。次こそ、確実にやられる。直感的に、そう感じた。
ならば――刀を、握り締めた。肩に担ぐように、刀を立てる。
八相。防御を捨てた、攻撃の構え。
疾人には他には何も無い。あの道場で、帰りを待つ者たちがいる、毛とは違う。名もない、財産もない。名声、誇り、生まれた意義すら――最初から。
何も無いなら、命すら。
ひょう、と風が吹く。砂塵が舞う。左足を、踏み込んだ。
「勢っ!」
一気に、飛び込んだ。身を捨てて、命をも曝け出して、一心不乱に、飛び込んだ。
八相発破。何もかもを捨て去った、無心に切り込んだ。毛もまた飛び込んだ。
切り結ぶ。
振り下ろされた剣は、小太刀諸共、毛美麗を切り裂いた。左の鎖骨から右の脇腹にかけて、刃閃く。
赤い血が噴き出て、疾人の顔を叩く。毛は膝をつき、うつぶせに倒れた。
疾人は刀を納めた。
「あなたが現役だったら、または武器が違ったら。今頃俺は」
疾人が言うのに、毛は弱々しく微笑んだ。血の池の中で。
「良い太刀筋だ。八相発破、身を捨て、体を捨て、ひたすらに袈裟に斬る。教えた通り、出来ているじゃないか」
疾人はしゃがみこんだ。疾人が切り込んだ、その切っ先は肩からわき腹にかけ、斜めに切り込んでいた。血が、滔々と溢れ出す。
「昔、あなたが言っていた」
そう切れ切れに、言葉を継ぐ。
「武の心。力を振るうのではなく、それを諌めるための盾となれ――と」
だが、疾人は力を行使する方に回った。毛美麗が己の身を削って守り続けてきたものを、奪う者達の側に。
そんな俺が、教えなど。
「俺は、あなたの教え通りには、生きることができない」
「そうするしか、そうでなければ生きられなかったあなたを、誰が咎められる? 命なんて、消費されるしかない。その“中間街”であなたがとった選択は、あなた自身を生かすためのものでしょう」
毛美麗は手を伸ばした。彼女の右手が、疾人の顔をそっと、撫ぜる。半面に施した刺青に触れた。指先は、冷たかった。
「自分自身に、消えない刻印を施してまで。罪を背負い、己の顔に刻み付けて……苦労したのでしょうね」
毛の言葉に、疾人は拳を握り、唇を噛む。
最後まで、敵わない。自分は見透かされていた、何もかも。おそらくこうなることも、最初から分かっていたのだろう。分かっていて、この人は。
毛の手が、落ちる。疾人がその手を取った。指先から力が抜けていくのを、感じた。
「刀、刀を捨てるなよ、疾人」
それが最後だった。毛美麗が瞼を閉じるのに、疾人が手を伸ばした。
「許してください、師匠」
髪を撫で、疾人は言った。
「あなたのために、泣くこともできない俺を」
涙を流すことが、出来ないから。 この喪失感を埋める術を、知らない。
乾いた目で天を仰ぐと、頭上には月があった。
翌日、重機を駆ってヤクザたちが、道場の解体作業を行っていた。やはり依頼人はあの男だったか、と疾人は指示を出すヤマネを見て思った。
「ここの女は、どんなサムライも返り討ちにしちまうから、手に余ってたんだ。それにしてもあんたとは」
ヤマネが言うに、疾人は睨みつけるような視線で
「仕事だから、それだけだ」
ヤマネは少なからず、疾人の視線にたじろいだようだったが「まあいい」といって、視線を移した。疾人もつられて、その方向を見る。
道場が崩れ落ちるのを、子供たちが呆然と眺めていた。彼らにとってはあそこは家だったのだ。毛を失った悲しみからも抜け切れずにいるだろうに、一体どんな思いだろうか。そんなことを考えていると、ヤマネは下っ端のチンピラを呼びつけて言った。
「おう、ガキども連れってけ」
若い男は短く応じて、子供たちを追いたてた。男が、女の子の――道場の片隅で、毛美麗に剣の手ほどきを受けていた女の子だ――手を引くに、疾人はヤマネに詰め寄った。
「あの子たちを、どうするつもりだ」
「住む家もなくなってんだから、どうしようと勝手だろう。まあ、ああいうのは需要があるんだ、今は。細胞はナノマシンの部品に、DNAはデザイナーズに導入し、女は――体まるごとでも売れ筋はいい。その趣味の連中にはな」
さっさと行け、と声をかける。淡々と処理を進める。
この男は、ヤクザという人種は……
疾人は鯉口を切った。ヤマネがぎょっとしてたじろぐのに詰めよって、
「子供たちに手を出したら、斬る」
低く唸るように、言う。子供たちが、不安そうに見ている。
周りのヤクザたちが、一斉に銃を向けた。そんなもの、毛の剣に比べれば脅しにもならない。子供たちは――奴らにとって、ただの商品でもあの子たちは人間だ。毛美麗が守り抜いた、命を。切り売りされて、弄ばれて、そんなことはさせない。こんな下衆な奴らに、好き勝手させるものか。刀の柄に手をかける。まさに斬りかからん、とするそのとき
「そこまでだ」
飛燕が間に割って入った。
「どけよ、飛燕。いくらあんたでも……」
「子供たちは、施設に預けてもらうことになった」
そう言うのへ、ヤマネは顔色を変えて言った。
「お前、何勝手なことをしている。サムライ風情が、あまりでかい顔してっと」
「おや、あなたほどではないですよ。その二重顎ほど」
飛燕は指先で髪を弄んで、粘着質な感じに笑みを浮かべて見せた。唇の端を歪めて、相変わらず小憎たらしい笑い方だ、と関係無いことを思う。ヤマネは顔を紅潮させて怒鳴った。
「貴様ら、ふざけていると金は払わんぞ」
「請けた仕事は“暗殺”です、その報酬はちゃんと頂きます。それでも、と仰るならば」
飛燕が目配せする。疾人は素早く、袖下からクナイを抜き、打剣した。右手前の男の、コルト拳銃に突き刺さる。男は銃を落とした。
「彼が相手をしても良いのですよ。毛美麗を葬った、その剣を御身に受けたければ」
疾人が迫る。男たちが気色ばむ。引き金を撃とうと身構える。が
ヤマネが手を上げると、男たちが銃を下ろした。ヤクザというものは損得勘定の生き物だ。相手の力量を計るのも、“中間街”で生きていく知恵だ。疾人相手には、例え銃を持ってしても敵わないと、瞬時に悟ったようだった。
「いいだろう、そのガキどもは好きにしろ……」
低い声で言った、その顔が汗濡れている。明らかに怖れをなしている。金は後で、口座に振り込むと言い残し、ヤマネは去っていった。女の子を引っ張っていた男が、名残惜しそうに手を離すのを見る。
「信頼できるところに預けるよ。あそこにいれば安全だから」
飛燕が言うと、ようやく疾人は構えを解いた。女の子が涙を溜めて俯いていた。年長の少年が、その子をなだめていた。あの子たちはそれでも、自分の力で生きていくだろう。毛美麗の子供たちが、そうならないはずがない。“中間街”と化したこの国の片隅で。
もし、こんな形じゃなくてもっと――別な形でこの世に生を受けていたら。疾人自身も、あの子らと共に在ったのだろうか。それとも……いややめておこう。考えるだ無駄だ。そう、言い聞かせる。
崩れ落ちる古巣を眺めた。
「僕を恨むかい、疾人」
飛燕が訊くのに、黙って首を横に振った。そもそもこの男、李飛燕がいなければ疾人は生まれていない。生まれなければ、毛美麗と出会うこともなかった。この手で殺すことも、なかったのだろうけど。
「疾人、例の計画だけど。目処がたったよ」
飛燕が言う。そうか、と答える。
「次の戦場は仙台、そして首都。ついてきて、くれるか?」
無論そのつもりだ。
あんたが理想を追うならば、この国を変えるために動くなら。
飛燕を妨げる者達から守るため、盾にならずともせめて矛になろう。毛美麗のようにはいかないが、俺にも守るものはある、と。頷く疾人に、飛燕は笑顔で返す。
「頼んだよ」
「ああ」
短く言って、黒塗りの刀身を担ぐ。柄頭に、赤い勾玉が揺れる。
進む道、志は違えども。
道場に背を向けた。これより、修羅の道へと足を踏み入れる。
壊すため、全てを変革させるため。二度と、振り返らないと。
夜狗外伝~月明の刃~ 完