でした。はい、正解された方はいなかったようなのでプロットは見送り。まあ、「そんなものいらん!」って方が殆ど、というかすべてでしょうが(笑)
いままでは授業中にプロット書いていたんですけど試験が近くなったので、最近は真面目に授業を聴くようになりました。「授業中」、これがポイント。もちろん、普通に机に向かって書くこともあるんですがね。なんか、授業中に書くとやけに作業がはかどるんですよ。まったく、酷い不良学生だ(笑) こういう大学生が、日本の教育水準を下げるんだな。よいこの皆は、まねしないでね♪
で、なぜはかどるのか考えてみた。一つは、とくにやる気のない教授のやる気のない授業で書く場合。こういう授業って、学生の大半は寝ているから大抵静かに作業できる。教授の声も、ぼそぼそと聞き取りにくいことが多いし。そうなると、下手に大学のラウンジとかで書くよりよっぽどいい環境が得られるんですよ。まあ、学費払ってもらっている身でこんなことするのも心苦しいが。
もう一つは、講義内容からヒントを得られることがあるということ。ものにもよるけど、基本的にワタクシは理屈っぽい小説を書くのが好きな人でしてw 特に、人物よりも社会構造を描き出すことに無類の喜びを感じる変た……あいや変り種です。ホント、人物が記号扱いになってでも世界観をつくるのが好きという、だからネット小説じゃ受けがわりーんだよアホンダラという天の声が聞こえてきた気がするけど脳髄ごと無視する。
社会学、特に経済学系の講義を受けると時々ヒントのようなものが生まれる。例えば、『監獄街』における社会構造。難民と支配層、というまるで南北戦争前の奴隷制度みたいな社会だが実はあれに似たことは世界中で起こっている。アフリカや、中東の発展途上国。その昔、イギリスをはじめとした先進国が侵略し、その国の経済を作り変えてしまった。いまや、旧植民地の国々はモノカルチャーという一つの作物を輸出することでしか生きてはいけない。成海の街も、ある種のモノカルチャーであの街にはある一つの産業しか根付いていない。もし、それがなくなったら難民たちは皆死に絶えると言う設定。なんの産業かは、これから言及していくけど。
あと、『マシナリー・クリスマス』では直接言及されなかったものの、リーシュたち特殊機甲兵は少女時代に機械陣営に拉致された人間の子供を改造してつくられた、いわばアフリカの少年兵のような存在である。(その辺の設定を生かそうと思ったら字数をはるかにオーバーしちゃったので、仕方なく「人間時代の思い出」とかいった焦点をぼかした形にした。もし、続編を書く機会があったらその辺のことも書きたい)。これも、講義を受けているときに与えられたヒント。そう考えると、大学というのはまさにネタの宝庫である。もう少し早く、このことに気がついていればな。
と、寝てもさめても小説のことばかり考えているのでいざ試験となるとまるで勉強が足りていないということに気がついた。ああ、やべえ(汗) しかし、勉強もしないでネットをやっている馬鹿一名。
そういうことで、しばらくネットから姿を消しますん。ブログにはお邪魔すると思うので、もしコメントがあったらかまってやってください。
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