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『監獄街』 第八章の17 更新
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龍の頭が、動き出す。
次回から、拳法アクション……になると思う。中国拳法に関してはずぶの素人なんで、本や映画、漫画なんかで場面を想像するよりほかないという現実。本場の拳法やっている人から見たら「ここちげーじゃん」とかいわれるかもしれないが。まあ、そこは広い心で許していただきたい。
……ダメか。
映画を見ました。士郎正宗原作の『エクスマキナ』。『アップルシード』の続編です。
この二作は、実際の人間をつかったモーションキャプチャーで動きをトレースしたフル3Dライブアニメなんだけど、普通の実写映画と変わらない出来栄えでした。アクションや近未来的な描写がね。なかなかにリアルです。動きは滑らかだし、メカ同士の戦闘も迫力あった。前に見た『ベクシル』もフル3D ライブアニメなんだけど、ベクシルの方はなんというか見ていていかにもCG然としていた。今回はキャラクターの表情やしぐさも細かくて、意外とこのままいけば実写と区別がつかないアニメも作れるんじゃないかなんて思いましたね。
物語は、前作『アップルシード』より7年後の世界。西暦2138年、中立都市オリュンポスでは人間、サイボーグ、そしてバイオロイド(クローン)が共存していたが、いまだテロリズムを根絶するにはいたっていなかった。ヒロインのデュナンは、最新鋭のサイボーグであり恋人のブリアレオスと特殊部隊ES.W.A.T.でコンビを組み、治安維持にあたっていた。ところがある日、新パートナーのテレウスの顔をみてデュナンは激しく動揺する。彼は人間だったころのブリアレオスの遺伝子から作られたバイオロイドだったのだ。
要するに、ブリアレオスのクローンがテレウスであり、ブリちゃんの彼女のデュナンは「え、マジで?」となるところから始まる。彼氏のブリちゃんは、全身を機械化しており見た目はいかにもメカメカしている。けれど、デュナンは今でもブリちゃんが好き。いわば、精神的な愛。しかし、機械である以上どうしてもあっちの方の愛は埋められない。一方、テレちゃんは昔のブリちゃんそっくり。バイオロイドの彼は、愛情とかの感情を抑制されている。しかし、生身。正反対、かつ非常によく似ている二人がデュナンをめぐる三角関係を――なんてのを想像したのだが、意外なことにそういう要素がほとんどなかった。常にアクション、サスペンス要素を画面全体に押し出しロマンスは匂わす程度。本人だけど人間性を失ったサイボーグか、本人じゃないけど生身の体をもつバイオロイドか。人間性のあり方とか、男女の愛のあり方だとか、おそらく同じ話を書くとしたら世のSF作家はそういうところに着目するんじゃないかと思われる。まあ、映画はフィーリングで観る僕ちゃんにとって、ごちゃごちゃした恋愛劇がない方がありがたかったりするけど。
皆さんはどうします? 自分の彼氏or彼女、もしくは伴侶がある日不慮の事故でサイボーグに生まれ変わった。見た目はロボット、しかし中身は元の彼氏。一方、彼氏そっくりなクローンが誰かに作られる。見た目は彼氏、でも中身は別人。結構これ、究極の選択なんじゃないかと思うんだけどね(笑)
まあしかし、サイボーグをそんなメカメカしい外見にせずとも見た目を人間に近づけることは可能でしょうに。この『アップルシード』の世界は、『攻殻機動隊』と同軸上に存在するという設定らしい。劇中に出てきた「ポセイドン」という工業国家が、『攻殻』における日本の未来の姿なんだと。21世紀に、サイボーグを人間っぽくする技術があるのになんで西暦2138年になったら急にサイボーグがロボットぽくなっちゃうんだよ。もしかして技術が退化したのか? なんて疑ってしまった(笑) あとで知ったのだが、世間に発表された原作コミックは『アップルシード』が先であり、士郎氏のデビュー作なんだと。その後で、『攻殻』が発表された。クオリティに差があるのは、まあ当然だわな。それとも、上のようなテーマを持たせるためにあえてメカっぽく描いたのかな。だとしたら、映画の脚本が悪かったとしか。原作読んだことないからわからないけど。
とりあえず、ブリちゃんの中の人が山寺宏一なんだけどまんまトグサの声で吹いた。